人目を超えて「どんな私も大丈夫」になりたい

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「人目が気になる」生きづらさ

自分が落ち込むときって、どんな時?

私は「人目が気になる」とき

ネガティブへ急降下すると、わかった。

小さい頃は、人目なんて気にならなかった。

多分、中学生で好きな人ができたり

友達関係が複雑になった頃から

「人と比べて自分はどうか」

「皆と同じが、安全なんだ」

そんな意識が、芽生えたんだろう。

それでもまだ、二重が良かったなぁ、とか

どうしたら胸が大きくなるのかとか

悩みとしては、軽い方だったかもしれない。

本格的に人目を気にするようになったのは

高校生になってから。

片目の生活になり、出来ないことが増えた。

・段差がわからなくて、足が出せない

・物を受け取る時、手を出す位置を間違える

・右側の人を横目で把握できない etc.

皆が出来る事が出来ない

皆が困らないところで、つまづく自分。

それに加えて、斜視になったので

「なんか目、変じゃない?」

「どこ見てるん?」

悪意はないけど、サラッと言われたり

言葉にしないけど、視線が合わない違和感に

気づいた子の表情が分かるようになって

段々、人の目を見て話すことも怖くなった。

当時は、インスタントカメラの全盛期。

写真の写り具合を、すぐ確認は出来ないので

斜視が目立っていないか?不安だったし

鏡にうつる自分の顔も、見るのが嫌だった。

〜 Chapter7『SKY』

「SKY」を描くとき、ポイントは「雲」。

初心者の私には、白だけを使って雲が描ける

この「SKY」もチャレンジしやすい。

こんな筋雲にしよう!と思ってのせた所も

たまたま伸びてしまった部分も

何をどうしても「なんか、良い感じ」。

どんな雲の形でも、そこに違和感はなく

「あれ?なんか変だな」

「この雲は、違うよ」

そんなことは一切、思わなくていい安心感。

シンプルだけど、どこまでも自由な空。

どんな「私」も、大丈夫

本来、私たち人間も自然界の一部であり

どんな姿で、どんな性格、特徴があっても

「なんか変だよ、違うよ」

そんな意識は持たなくても良いはずなんだ。

だけど、生まれた国柄、地域性

所属する集団の暗黙のルール

様々な「概念」の中で生きているのが人間。

雲のように、どんな姿形であっても

白でもピンクでもグレーに染まっても

風に流され、自然なまんまで在れたのなら

どれだけ生きやすいだろう。

​「家族」という居場所を、大切に。

42歳にして「集団が苦手」と、気づいた私。

「組織」という集団を抜け出したら

もっと、生きやすくなる気がしている。

概念が変われば、生き方もまた、変わると思うから。

大人はそうやって、生きる環境を選び

どうしたいのか?決めることも出来るけど

子ども達は、まだそうではない。

もし私がいま「学校に行きなさい」と言われたら無理かもしれない。

趣味嗜好、置かれている環境も十人十色。

「学校」という集団の中に入るのは

時に、めちゃくちゃ疲れる時間になり得る。

次男は帰りの車で眠ってしまったり

長男もイライラしやすい日があったりと

「楽しい」だけじゃないよね。

無意識でも、色んなことに気をつかって

1人で頑張っているんだよね。

せめて家族といる時間は、ありのままで。

人目なんて気にしなくて良い時間を

「家」という居場所で、つくってあげたい。

子ども達も「SKY」に広がる雲のように

何があっても「それで良いのだ」と受けとめてあげられる母親に、なりたい。

〜みらい〜

片目で生きる3児のママ保健師(現役公務員)

独立開業に向けて、日々、奮闘中。Instagramで発信しています🌻

あなたの貴重な時間を使って読んでいただき、ありがとうございました♪

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